ツイートは「個人のつぶやき」に過ぎない。
ツイートは「個人のつぶやき」に過ぎない。そして聖書には「つぶやくな」とも明記されている。個人的つぶやきを真に受ける価値があるかどうかは、つぶやいた本人の「信頼性」に大きく依存する。
では、文字面を真に受けてtweet=つぶやく、と捉えてはいけない。Twitter利用者にはざっくり言って2種類の人がいる。
・1つは文字通り「思いをぶちまける=つぶやく人」
・2つは「告知手段として価値ある(と本人が思っている)情報を発信している人」
1は避けた方がいい。場合によっては不快なだけだから。上記のノイズに該当する。
2を丁寧に拾った方がいい。情報を集めたいならば、ね。そういう人は偶然発信する事はない。しっかりとしたポリシーを持って発信している。信頼の確実性は高いと私は思う。(各自判断のこと。)
SNSは、結局、使い手の情報の取捨選択能力に依存している
それだ。手段は、所詮、手段に過ぎない。ナイフが旨い料理を作ることはないのだ。うまい料理人がナイフを使うことに価値があるのであって、ナイフそれ自体が旨い料理を作り出すことなどあり得ない。
手段、目的、ご自身の判断能力、この3つがとても重要なのだ。
くだらない「何か」に振り回される前によく考えることだ。
若干説教臭くなってごめんなさい。
でもね、本当に重要なことなんだ。情報の取捨選択の責任をご自分自身で負うことの重要性は。
他人のせいにして言い訳しても、最終的に益・不利益を被るのはご自身なんだ。だから、言い訳せずに自分の取捨選択の責任をきちんとご自身で負いながら情報を選ぶべきだ。
他人の責任にして気が晴れるのは別にいいけど、結果、ご自身にどんな良い影響がありますか?ってこと。
言い訳に価値が生まれる日は永遠に来ない
言い訳に価値が生まれる日は永遠に来ないのだから。だったらきちんとご自身で責任を持って情報の取捨選択をすべきでは?と思うのです。。。
何が必要な情報で、何がノイズかも、ご自身が判断すべきであって、それをどう扱うかもまた、あなた次第です。