画力がないなら立体を作ればいい

デジタル箱庭クリエーターを目指す小さな足跡

表現を諦めないことにした

(約 2,900文字の記事です。)
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悩んだときには自転車に乗って考える。私のスタイルだ。この秋空の下、夕日を眺めながらひたすらにペダルを回しながら考えた結論。

表現を諦めない

色々考えて、ぐるぐる回って、出した結論。

もっと気楽に行こう。続けていれば何かが見えるはずだ。

歩みを止めることは簡単だ。今、現に歩みを止めた。そこから何が生まれるか?Nothing. 何も生まれない。試行錯誤しながら前に進んでいれば、何かがある。だが、歩みを止めたらそこで永遠に時間が止まる。創作の死である。止まるのである。時計が。


ハイクオリティだとか適当だとか、簡単か難しいか、どうでもいい。続けてみることだ。そうすれば何かが分かる。最低限、技術は向上する。技術が向上すると見えることがある。それは間違いない。デジタルツールは使い方が全てだ。それが血肉になったとき、見える世界も変わる可能性がある。できそうかどうかではなくて、実際にやってみて、どうだったかというのは重要だ。可能性だけで判断するのは危険だ。(予感は重要だが。)

3次元が面倒なら2次元でもいい

3DCGは面倒くささがある。線画で2, 3本の線を引けば済む検討を、3DCGだといちいち裏面まで考えなければ作れない。それが3DCG。でも、改めて考え直してみると、立体を検討する際には、紙と鉛筆、ペンタブとCLIP STUDIO PAINTで落書きして検討しても問題ないわけで。立体を立体ツールで考えるから、面倒だと気付いた。ラフは2次元で考えるのがいい。消しゴム一発で消える。丸を書けば球にも円盤にもなる。

2次元は想像力を駆使した自由度がある。逆に3次元は3次元座標に縛られるが故に、カメラエフェクトつまり光学的に正確な表現ができる。両者のいいところを使い分ければいい。一番効率的な方をハイブリッドで使い分ければいい。あるいはごちゃ混ぜにすればいい。

商用製作ではない。私がルールだ。自由に混ぜればいい。そう考えたとき、楽になった。

気楽に作ればいい。趣味なんだから。

これである。気楽に考えよう。楽に作って、適当に作って、本気で考えて、本気で詰めて、満足すればそれでいい。満足に大小はない。満たされるかどうか。満たされないならば、満たされる手段を採用すればいい。

とにかく創作を諦めないことだ。作り続けていれば必ず道は開ける。簡単な物を超簡単に実現するノウハウは、簡単な物を簡単に作る経験が必要だ。簡単な物を簡単にできそうだという予測は誰でもできる。だが実際に簡単な物を簡単に作れる状態になければ、やはりただの意見でしかない。実際に自分にとって簡単な物を簡単に作れる状態にしか、価値がない。他人の意見など空気でしかない。

簡単な物を簡単に作る。そのためのノウハウを作りながら蓄積する。

メッシュ1つ、ボーン1本。でもやってきていないと、簡単にはできない。作業手順が簡単でも、忘れてしまっていたら簡単ではなくなる。

2次元と3次元のハイブリッド表現

これが今回の自分にとっての一つの答えだった。

何でもかんでもフル3DCGにする必要がない。たった1枚のカットだけなら、主要キャラのポージング以外は、お絵描きで埋めてもいい。背景小物などだ。1カットしかないのに、その全ての要素をモデリングするのは非効率。もちろんあとから使い回せる小物ならば作ってしまえばいいが、それが面倒だと感じるならば、お絵描きで線で、塗り絵でその「ワンシーン」を早く仕上げることに注力していい気がするのだ。絵で簡単にささっと作る技術も、繰り返せば身に付くはずだし、それで満たされなるならその技術が私にとって必要だ、と言うことになる。

人体のポージングは画力がないとデッサンが破綻する。だが幾何学的な形状は割と描ける気がする。少なくとも、嘘絵でもいいから違和感が少なければそれでいいのだ。商用ではない。自己満足なアートの世界なんだから。自分が満足できれば、実はパースの狂いとかデッサンの崩れとか、どうでもいい。だが、人体のデッサン乱れは、残念ながら自他共に割と気付く。だから絵は難しい。ポージングなら今ならリグ入りモデルがある。活躍してもらえばいい。

その他の部分で面倒なら、お絵描きのラフ画背景でもいいと思ったのだ。キャラ、ポージング、画角、背景の様子、これらがあれば線画でも、ワンシーンは作れる。グレースケールかも知れないが、ワンシーンにはなるのだ。粗い絵コンテのイメージ。それでも物語は進む。そしてそれで満たされて前に進めるならば、それが立派な創作だ。価値の問題ではない。その段階で上手く線画が描けないならばそこで3DCGの登場は間違いない。

なので、絵コンテレベルに落としたとして、絵と3DCGとを組み合わせて挿絵の下絵を作っていくのであれば、割と気軽だなと思ったのだ。もしかしたらモノトーンかも知れないが、漫画は最初からモノトーンとして成立しているわけだし、それで作り手が満足なら問題ない。フル3DCGならば色つけも一瞬だが、線画との組み合わせになるならばまずはグレースケールが無難だ。CG部分のみカラーでもいいと思うし、ラフに上から水彩画風に色を塗ってもいい。どんなにラフでもワンシーンにはなる。モノトーンよりはカラーが楽しいのは間違いない。でもそれが面倒なら、モノトーンでもいいと思っている。気分で選べばいい。それをだめだという人はいない。ルールは自分なのだから。

表現方法を固定しない

これを固定しようとしたから息苦しかったみたいなんだ。絵がいいなら絵を描けばいい。絵の構図が重要なら一度立体にすればいい。色なんか好きにすればいい。適当に、自由にやることにした。

適当を、軽んじていた。

本当に適当に表現しようとするならば、悩むことも迷うこともない。迷っていたり悩んだのは、適当に対して全力で針を振り切れなかったからだろう。どこかで「ちゃんと、きちんと」に囚われていた。だから悩むことになった。

いいんだ。自由で、適当で。

真に楽ちんに表現しようとすることだ。一番いい手段を本能的に選べばそれが正解なのだろう。理性で考えすぎたのかも知れない。


というわけで、これからは、最も楽な方法を選んで、楽ちんに、適当に、表現することを続けていきたいと思います。歩き続けていれば、後ろに足跡ができるからね。向かう先も重要だが、歩みを止めなければ何か分かるかも知れない。足跡がループを描かなければどこかに辿り着くかも知れない。





歩きながら考えることにしよう。立ち止まると次の一歩が辛くなるから。




今回の創作活動は約1時間30分(累積 約1,173時間)
(401回目のブログ更新)